父親の名前は、ギリアン・イングラム。
代々皇国の軍事に関わる事柄を担ってきたイングラム家。
先の戦争により先代、俺のお爺様が亡くなった事で、歳若くしてイングラム家の当主となった。
それと同時に、懇意にしていたハーシェル家の長女を娶る事となる。
それが俺の母親、アンナ・イングラムだ。
傍から見れば政略結婚と捉えられがちではあるが、そうでもないのではないかと、個人的には思っている。
というのも、皇国のパーティーなどでよく見る他家の両親は、どこか事務的なよそよそしさを感じるのだが、この二人からはそれをあまり感じない。
子供ながらに、何か違うと思っていた。
それは自分の両親だからとか、そういうバイアスがかかっているのだろうと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
二人は、幼馴染だったらしい。
とはいえ、貴族の子供たちというのは皆幼馴染浮かび上がってくる
親同士が懇意にしていれば、当然その子供たちも顔を合わせる機会が増える。
そうなれば、必然的に気になる存在になるのだろう。
単純接触効果というやつだ。
つまり何が言いたいかというと、仲睦まじい、そういう家庭で俺は生まれ育った。
厳しくも優しい父の元、剣術を教わり、体を鍛え、学者の血筋である聡明な母に勉学を教わった。
母は考古学や歴史学、特に民俗学の分野に造詣が深く、そんな母の話を聞くのは子供ながらにとてもワクワクしたのを覚えている。
母からの話で特に印象深く記憶に残っている話がある。
創世の魔女の話だ。
この大陸の、始まりの物語。
創世の魔女は空より舞い降り、ここに大陸を造った。
それから木を植え、川を造り、山を拵え、生き物を生んだ。
何もなかった大地は、少しずつ豊かな大地と姿を変えていき、魔女は悠久の時を過ごす。
そんな話だったかと思う。
これはむしろ神話に近い類だろう。
民俗学というのはこういった土着の逸話や言い伝えから、歴史を紐解いていこうとする学問だ。
その性質から、眉唾な話であったり、根拠が薄かったりといった事が度々起こりえるが、それでも尚この学問を読み解いていく理由を母に聞いてみた事がある。
母は一言「ロマンよ」と言い放った。
聡明で、愉快な母だった。
只の噂話程度の話かもしれない。
創作された話かもしれない。
それでも、そんな逸話や言い伝えが残った背景を読み解こうとする事で、当時の時代背景などが浮かび上がってくる。
しかしそれは「かもしれない」で終結する。
正式な文献から得た歴史学から補完されて初めて意味が生まれてくる。
確かにロマンかもしれない。
想像と、現実の狭間のような世界に、俺はどんどん引き込まれていった。
「確かにただの想像、個人の感想と言われるかもしれない。けれどそこに、今の私たちと変わらない生活があって、当時の世界観や個人から歴史に迫れるのは、とても素敵な事だと思うのよ」
母はそんな事を言っていた。
親父もそういう所に惹かれたのか、いつも興味深く母の話を聞いていた。
親父は親父で、騎士団での遠征先で見たり聞いたりしたことを母に話し、話を聞いた母もその地の逸話なんかを調べたりと、お互いになにやら知的好奇心を刺激し合っていたりして、傍から見ても(身内の自分から見ても)とてもお似合いの二人だった。
「アンナ見てくれ、遠征先でこんなものを見つけたんだ」
親父は嬉々としてある一冊の本を母に手渡した。
ぼろぼろで、所々ページに欠けもあり、きちんと製本されておらず、紐で背表紙を縛ってある様な、古臭い本だ。
母は慎重にページをめくる。
「何・・・?マグ、ノ・・・マグノリア!これ、マグノリア王朝の資料?!凄い・・・こんなものが残っていたなんて・・・!」
興奮しながらもページをめくるその手は決して雑にはならずにものすごいスピードで読み進めていく。
「太古の王朝マグノリア・・・いまだに謎に包まれたままだけれど・・・これが本物だとしたらこの時代の研究が一気に進むわ・・・!今日の遠征先ってどこだったの?」
「真宵の森の西側・・・アルシオンから見て森の反対側だな」
「マニヨン大公国のあるところね。という事は、マニヨンこそがマグノリアの正式後継国と考えられるかもしれないわね・・・。大公家の言い伝えとか、その辺りからも何か読み取れそうかも・・・!・・・あ、でも、行ったって事は・・・」
「・・・ああ、すでに制圧済みだ」
「・・・そう・・・大公は?」
「最後は、自ら」
「・・・自分の国とは言え、やっぱり気分はよくないものね・・・。投降して、生きてさえいれば何とでもなったでしょうに」
とはいうものの、それは勝者の理屈だというのは、母も十分わかっている。
皇国は敗戦国の捕虜に対し、そこまで厳しい対応をとっているわけではない。
完全実力主義の社会だ。
投降後は一定の修業規則があるが、それが終わり、精神鑑定もクリアできれば、国の要職に就くことだって可能だ。
成果さえ上げれば、再び貴族入りという道だってある。
「でも、城は残っているのよね?」
そう聞かれた親父は、苦虫を嚙み潰したような顔になり、頭を抱えた。
「・・・」
「・・・え、何その反応・・・?・・・ギリー?」
「・・・マニヨンの大公は、最後の最後まで抵抗を見せてな・・・」
「・・・で?」
母のその声は、静かで優しい響きだったが、冷たい声だった。
「籠城戦の末・・・最後には、自ら・・・城に火をぁー・・・」
親父は最後まで言い切ることができず、冷や汗を流している。
「火をかけた・・・ですって・・・?」
「お、俺たちじゃないぞ・・・?あくまでも大公自らがだな・・・!」
「知らないわよそんなの!!火をかけるって何?!貴重な歴史的資料も全部燃えたって事?!何してんのよ!ギリー!そうなる前に決着つけときなさいよ!!」
「そんな無茶な・・・」
「だまらっしゃい!!」
「はい」
戦いであればだれにも負けない不敗神話を持つ父ですら、母の前ではこうなってしまう。
「そもそもマニヨン公は何を考えているのかしら・・・!歴史的価値のある物に火をかけるなんて正気の沙汰じゃないわ・・・!国を護る立場であれば身を挺してでも護りなさいよ!」
我が母ながら凄いことを言っている。
戦いの末、籠城戦を仕掛けてでも最後まで戦い抜き、一分一秒でも長く国を護ろうとした結果そうなってしまっただけであって・・・。
しかしこうなってしまった母にそれを言っても無駄な事は親父も重々承知しているからか、理不尽な誹りを甘んじて受け続けている。
「・・・でもまぁ、その状況でこれを持ち出してきただけでもよしとしましょう」
母は愛おしそうに本を撫でる。
親父は胸を撫で下ろす。
「さぁ忙しくなるわよ。早速解析に移らなくちゃ」
まるで新しいおもちゃを買い与えられた子供の様に喜び勇んでデスクへと向かう。
数時間後にはデスクの周りに大量の本が積み重ねられている事だろう。
親父と顔を見合わせて、やれやれと肩をすくめていると、ノックの音が響いた。
「なんだ」
親父が扉へ向かって問いかけると、執事長が顔を見せる。
「失礼します。ギリアン様。アルシュタイン様がお見えです」
「ん?ああ、もうそんな時間か」
アルシュタイン家。
マナの実家だ。
「マナも来てる?!」
「ええ。マナ様もユリウス様をお待ちですよ」
「やった!」
それを聞いた俺は一目散に応接室へと向かう。
「ユリウス!失礼の無いようにな!」
「わかってる!」
走る俺の背中に向かってそう声を掛ける親父。
「・・・ったく、誰に似たんだか」
「・・・お二人では?」
そんな会話が聞こえた気がする。
応接室に行くと、アルシュタイン伯爵が本を読みながら紅茶を飲んでいた。
「マナ!」
「ユーリ!」
俺たちはお互いに顔を合わせるとすぐに話し込んでしまう。
「ユリウス様!まずは伯爵様にご挨拶を・・・!」
メイド長が窘めてくる。
「あ、すみません。ようこそいらっしゃいました。ヴォルボロ小父さま」
「・・・ああ、こうして会うのも久しいな。元気そうで良かった」
そう言いながら俺の頭を撫でてくれた。
「おう、ヴォル、待たせたな」
少し遅れて、親父も応接室へと入ってきた。
「愚息が失礼をしてないか」
「・・・なに、子供はそれくらいでちょうど良いさ」
「お前・・・何日寝てないんだ?目の下の隈が凄いことになってるぞ」
「・・・ん、ああ・・・いや、寝てはいる」
「仮眠は含まないぞ」
「・・・ふむ。どうしたものか」
「こちらのセリフだ」
マナの父親。
ヴォルボロ・アルシュタイン伯爵。
パーティなどの大人数が苦手らしく、あまり公の場所に姿を現さないが、時折こうしてうちには遊びに来てくれる。
相当忙しくしているらしく、寝不足の所為かいつもどこか不穏な空気を纏っている。
だが小父さん自身はとても優しく、いつも俺の事も気にかけてくれていた。
「・・・あら、ヴォル。来てたの」
しばらくは自室から出てこないかと思っていた母がひょっこりと顔を出してきた。
「・・・やぁ、アンナ。何やら楽しそうだね」
「そうなの、ヴォル!ちょっとコレ見てくれない?」
「・・・ん・・・これは」
「マグノリア王朝の資料よ」
「・・・!そうか、これを、どこで?」
「マニヨンだ」
「・・・成程・・・それは、期待できそうだね」
親父は頭をガシガシと掻き、しょうがないな、と言った感じで溜息を吐いた。
「ユリウス、マナと一緒に遊んできなさい。私たちは少し話があるから。・・・ったく、研究者というのは・・・」
親父にそう促され、俺はマナと一緒に裏庭に出る事にした。
「分かった。行こう、マナ!」
「うん!」
子供の頃は、本当に天真爛漫な娘だった。
「お父さんね、ここの所ずっと研究研究で、お家にも帰ってこないのよ?心配になっちゃう」
「そうなんだ・・・小父さんって何の研究をしてるんだろう?」
「知らない。一度お父さんの読んでた本を見せて貰ったけど・・・難しすぎて何が書いてあるのかちっともわからなかったわ」
「ふぅん。俺は、母さんの話面白くて好きだけどな」
「ユーリママは違うもん!同じ研究者でも、ユーリママのお話はおとぎ話みたいで素敵だわ。ああいうお話なら、私だってもっと夢中になれたかもしれないのに」
「じゃあ、もっとうちに来ればいいじゃないか」
「もう、ユーリ。そう言う事じゃないのよ」
「?そう言う事って?」
「相変わらずニブチンなんだから。私は、お父さんとお話がしたいの。何か共通のお話ができればって思って」
「・・・ああ、小父さん、話するにもいつも忙しそうだもんな」
「そうなの。娘にこんなに心配させるなんて、ダメな父親よね」
プリプリと頬を膨らませて怒るマナがなんだか可愛らしく、思わず頭をなでる。
「・・・なによ」
「はは。なんとなく。今日は父さんたちどんな話をしてるんだろうね。ちょっと聞いてみたい気もするけどな」
「聞いたってきっと何も分からないわよ」
「でも、分かるかもしれないだろ?そしたら、小父さんとももっと話が出来るかもしれないじゃないか」
「・・・いいの。お父さん、ユーリパパとユーリママに会う日はいつも調子良さそうなの。三人は三人できっと何かあるのよ。それを子供のわがままで邪魔するわけにはいかないわ」
今思えば、なんともおませで、子供らしい子供だった。
「それに私、お父さんの本当の子供じゃないもの」
「・・・え?」
「ユーリも、でしょ?私たち、他所から来た子供だもの」
「どういう、事・・・?」
急に、マナの口調が、今のマナと被る。
「知っているのでしょう?もう。私たちは、あの人たちの子供じゃない」
「だから、どういう事なんだよッ・・・!」
気付けば、俺も子供の頃の俺ではなくなっていた。
「俺は、父さんと母さんの子だ。間違いなく・・・!ちゃんと記憶だって・・・!」
「赤ん坊のころの記憶も残っているとでも?」
「それは・・・!」
流石に、覚えていない。
物心が付いた頃、その辺りからの記憶しか。
「私たちがどう生まれたかなんて、記憶にないでしょう?それなのに、なぜあの人が本当の親だと思うの?」
「・・・やめろ・・・!」
「あなたも本当は分かっている。分からないふりをしているだけ」
「やめろ、やめてくれ・・・!」
「そう、私たちは・・・」
「やめろ!!」
「ワタシたちは、ツクラレタ、ニンゲンなのだカラ」
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