6・森の遺跡


真宵の森に入ってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
朝日と共に目覚め、その日一日の食料を探し、食べ、夜になれば眠り、また目覚める。
そんな、自然と共に生きる、自給自足の生活をしていると、時間間隔、日付感覚がどんどん無くなっていくのを感じる。
月日や曜日、時間なんてものは、人間が後付けで作ったに過ぎないのだと否が応でも自覚させられる。
だが、悪くない感覚だった。
街の便利な生活というのもいいが、こういった自給自足の生活が存外肌に合っていたようで、俺がこの森での生活に慣れるのにそう時間はかからなかった。
しかしそれでも、いまだに目測を見誤ることも多々ある。

「ブルルルル・・・」
「・・・」

俺は今、息を殺して茂みに身を潜めている。
どうしてこんな事になっているかというと、時をさかのぼる事数時間前―――。

「ユーリ、今日はお主が狩りをして来い」
「え?俺が?」

これまで肉の調達はファウヌスが一人で担っていた。
というのも、ファウヌスの本来の姿であれば、その鼻で獲物をすぐに見つけられるし、狩猟能力だって桁違いで、圧倒的に効率がいいからだ。
それを知り、ファウヌスの狩りに興味が湧いた俺は、一度付いて行ってもいいかと尋ねた事がある。
その時は、「足手纏いだ」の一言で片づけられてしまった。
もしかしてそれを覚えていてくれたのだろうか。

「じゃあ、ついに狩りを見せて貰えるんだな!」

多少興奮気味にそう言うと、ファウヌスはいつもの様に「ハッ」と笑う。

「勘違いするなユーリ。お主一人で行くんじゃよ」
「・・・えぇ・・・」
「なんじゃ不満か?それとも自信がないのか?皇国騎士様とあろう者がなっさけないのぉ」

と、分かりやすい挑発をかましてくる。
しかしそんな安い挑発に乗るほど、俺は簡単でもない。

「・・・おん?んなわけあるか。見てろファウヌス。俺一人でお前よりもデカい獲物獲ってきてやるからな・・・!」

・・・ハズ、だった。
おかしい。
騎士団で過ごしていた時は、もっと冷静で、挑発にも全く乗らないようなタイプだったはずなのに・・・。
この森に来てからというもの、どうもタガが外れてしまったような感じだ。
分かっていながらも、わざと乗っかるというか、そんな会話を楽しんですらいる自分がいた。

「カッハッハッハッ!!大きく出たのう!我よりも、か。面白い、やってみよ!」
「おお、こちとら野営で狩りなんかは慣れてんだ。あとで吠え面かくなよ!」
「ハッ!言うようになったの小僧!」
「・・・どうでもいいけど行くなら早く行って。お肉があるかないかで作る料理も変わるんだから」
「アイマム」

マナは、相変わらずだった。
表面上は普通に接してくれるし、日常生活に支障が出るような事は何もないのだが、どこかやはり壁を作っている様に感じる。

「ところでファウヌス。今日は何かあるのか?」

いつもであれば、ファウヌスは狩りには率先して出かけるし、趣味とまで言っていたはずだ。
何もなくその趣味を俺に全投げするとも思えなかった。

「ま、ちと野暮用でな。腹を空かせて帰ってくる予定だから、いい奴を頼む」
「?・・・おお、期待してろ」

野暮用にすこし引っかかりはしたが、特に掘り下げる事はしなかった。
ファウヌスは、マナがこの森に来る前からずっとここで暮らしていたわけだし、まぁ何かあるのだろう。
俺は弓と短剣を持って、早速狩りへと出かける事になった。

―――と、言うのが数時間前。
森の中を散策し、ちょうど良い大きさの兎を発見した。
まずは肩慣らしと思い、その兎に向かって弓を引き絞る。
兎は夢中で草を食んでおり、こちらにはまだ気付いていないようだ。

(今だ!)

シュンッ!!
放たれた矢はまっすぐと兎へと飛んでいく。
手ごたえありだ。
と、思った瞬間。
・・・カツンッ。

「・・・へっ?」

確かに当たったかのように見えた矢は、おもちゃの様に弾かれてしまった。
その矢によってこちらに気付いた兎は、目を光らせこちらを睨みつけている。
ヤバイと直感的に感じ、すぐにその場から逃げ出し、茂みに身を潜める。

「ブルルルル・・・」
「・・・」

まさか兎の毛皮があんなにも固いものだとは思いもしなかった。
とは言え、この森の特性を考えれば予想できたことでもあった。
植物も動物も、個体差はあるとはいえ、魔素によってその能力のどこかしらが強化されているというのは教えられていたはずなのだ。
兎の自然界での立場を考えたら、毛皮が硬化するというのはまさに理にかなった強化でもあるだろう。
出かける際にファウヌスが言った一言がここにきて思い出さされる。

「・・・お手並み拝見だの」

と言いながら冷ややかに笑っていた。

(あいつ・・・!こういう事は教えてくれよ・・・!)

まさか兎に怯える日が来ようとは思ってもみなかった。
後ろ姿で気付かなかったが、その前歯も以上に発達しているのが見える。
あれで嚙まれたら一溜りもないだろう。
と、思っていたら、兎が目の前の木に向かって首を一振りする。
ゴッ!という鈍い音がしたと思ったら、木がこちらに向かって倒れてきた。

「・・・ぅぇえええええ??!!」

驚くことに、その前歯の一閃で木を切り倒したのである。
倒れてくる木を避ける為に、茂みから出ざるをえなくなった俺は、案の定兎に見つかってしまう。

「フゴーーーッ!」

兎というより、猪の様にこちらに突進してくる。
先ほどから聞こえる鼻息も兎のそれではない。
俺が知っている兎とは排気量が違う。
兎一羽だけでも、こんなバケモノ級の強さを持っているのだ。
ファウヌスは毎度毎度、こんな相手を狩ってきていたのかとこの身をもって思い知らされる。
気軽に着いて行きたいなんて言った自分は大馬鹿者だ。
これは、人間が、相対していい生き物ではない。

「のわあああああ!!!」

兎の突進を避けつつ、兎に角逃げる。
狩りとか言っている場合ではない。
命大事に。
生き残ることが最優先だ。
幸いにして、走りのスピードはそこまで速くなさそうだ。
警戒すべきは・・・。

(!来るっ・・・!)

走っていた兎がその身を少し屈ませる。
その次の瞬間!

「フゴーーーッ!!!」
「ひぃっ!!!」

まるで矢の様に突進してくる兎。
その強靭な脚力を使った、地面に対して垂直に飛んでくる跳躍だ。
この跳躍のスピードが厄介で、重力なんて無いかのように一瞬にして距離を詰めてくる。
だがもう一つ幸いな事に、その跳躍は直線的にしか飛んで来ない。
タイミングさえ見極めればなんとか避ける事はできそうだ。
しかし避ける事は出来ても、避け続ける事は出来ない。
このままでは体力の限界が先に来てその跳躍に貫かれるのも時間の問題だろう。
森の中を走りながら解決策を模索する。

「・・・うおっ!!」

バッカーーーン!!
何度目かの跳躍を避けると、兎は岩に突っ込んでいった。
岩は割れ、砂煙が立ち込める。

「・・・キュウ」

その砂煙が落ち着いていくと、そこには気を失った兎が倒れていた。

「・・・や、やった!勝ったぞ!今のうちに・・・!」

手足を縛り、下処理を行う。
近くで見ると、俺の知っている兎とはやはり体格が違う。
二回り、三回りくらいは大きい。
なかなか大きな獲物ではないだろうか。
・・・自分の力で狩ったとはとても言い難いが、運も実力の内と捉えよう。

「さて」

下処理を終え、改めて周りを見る。
少し開けた場所の様だ。

「・・・どこだここ」

完全に迷子だ。
森の中を縦横無尽に逃げ回った所為で、現在位置を把握する事も難しい。

「っていうかここ・・・遺跡、か?」

石造りの柱や壁があり、そこに蔦が巻き付いている。
どう見ても自然物には見えなかった。
同じ大きさに切り分けられた石を積み上げて作られた様に見えるそれらは、明らかに文明というものを感じさせる。
皇国の長い歴史、文献の中でも、森の中に人が住んでいたという記述は無かったはずだ。
俺は考古学者でも歴史学者でもないから詳しい事は分からないが、今目の前にある遺跡からは相当長い時間が経っている様に見受けられる。

「森の中に、文明が存在していた・・・?」

それが真実であれば、歴史的大発見と言える。
とはいえ、その発見者が森から出られないのだから、その歴史的大発見も後世に語り継がれることは無いのだが。
遺跡をよくよく見てみると、その様式はマナの家と類似する部分が多くみられる。
もしかしたらあのマナの家も、残された建造物を修繕したものなのかもしれない。
俺は帰れなくなる事の恐怖よりも好奇心の方が勝ってしまい、遺跡探索をすることにした。
木々に浸食されてはいるが、ここは元々かなり大きな街の様だった。
建造物の残骸がそこかしこに転がっている。
歴史学者達が見れば垂涎の場所だろう。
そんな残骸を見学しつつ、奥へ奥へと歩みを進める。
するとそこに、見知った毛むくじゃらが居た。

「・・・ファウヌス?」
「ぬ?」

その姿は体長3メートルはありそうな大柄な狼の姿で、これこそがファウヌス本来の姿だ。

「ユーリか。なぜこんな所に」
「いやまぁ偶然辿り着いたというか・・・。ここ、なんなんだ?」
「ん・・・まぁ、ただの遺跡だ。大昔の文明のな」
「・・・ふぅん」

なにやら含みがあるその言い方が気になった。

「それより、獲物は狩れたのか」
「お、よくぞ聞いてくれた。これを見ろ!」

と、先ほどの兎を自慢げに見せる。
するとファウヌスは目を丸くして驚いていた。

「そいつを狩るとはお主もなかなかやるのぅ。これから狩りはお主に任せてもよさそうじゃな」
「それは全力で遠慮する!!」
「あ?」

俺は観念して先ほどの逃走劇をすべて話すことにした。

「クックックッ・・・!ハッハッハッハ!!!まさかそんな倒し方をするとは・・・!」
「笑い事じゃねぇよ・・・。こっちは死ぬとこだったんだぞ。というか、あんなのがいるなら先に言っとけよ」
「いやぁすまんすまん。だが安心しろ。そいつは特殊個体だ。そいつの様なのはそうそうおらん」
「何、そうなのか?」
「まさか森に入って最初に出会うのがそいつとはのぅ・・・運が良いのか悪いのか、よう分からんな」

ファウヌスはククッと笑い続けている。

「だが、ようやった。今日はごちそうじゃの」

その言葉に俺は察する。

「・・・もしかしてこいつ・・・美味いのか?」
「ああ、それはもう絶品よ」

二人してにやりと笑う。
この森での生活の中で、食事は楽しみの一つだ。
何をとっても美味いのはそうなのだが、その中でもさらに絶品なものがあり、それはこの森の中でも特に珍しいものがそうだったりするので滅多にありつけないのだ。

「よし帰ろう。すぐ帰ろう」
「あー、待て待て。・・・せっかくじゃ、見ていけ」
「あん?」

ファウヌスはいつの間にか人型に変化していて(ちゃんと服は着ていた)、遺跡の奥の方を指さす。
そこには今までの瓦礫なんかよりも大きく、建物としてしっかりと形が残っている建造物があった。
それは今の皇国で言う教会の様な造りの建物だった。

「・・・すっげぇ」

あまり信心深いわけでもない俺でも、どこか神秘的なものを感じる雰囲気が漂っている。

「こっちじゃ」

ファウヌスと建物の中に入っていく。
その建物の中には樹齢何年か分からないほど大きな大木が鎮座していた。
建物の造りを見ると、この大木を中心にして建築が進められた事が分かる。
それだけ神聖視していたという事なのだろう。

「・・・なんだ?あれ」

大きな木の根の間には、キラキラと輝く結晶の様なものが見える。
どうやら後から据えたものでもないらしい。
木の幹と完全に同化していた。

「あれは、魔素の結晶じゃ」
「魔素の結晶?」
「ああ、人為的に創り出された、な」

ファウヌスのその言葉には、どこか侮蔑の色合いを感じられた。
大木に近づき、結晶を間近に見て初めて気づく。

「これは・・・!」

その結晶の中には・・・人が、入っていた。


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