――パチパチと薪の燃える音が聞こえてくる。
一本の薪がコトリと音を立てて崩れた。
トントントンとリズミカルに叩く音と、グツグツと何かが煮えているような音。
どこかで誰かが料理をしているらしい。
その音に、どこか懐かしさを感じながら、うっすらと目を開ける。
「・・・ここは・・・?」
辺りを見渡すと、どこかの家の中にいるようだった。
内装は大昔の皇国でよく好まれた、今ではあまり見ない様式の内装だが・・・古臭さの中にどこか洗練されたものを感じる、そんな家だった。
寝かされているベッドから体を起こし、少し状況を整理してみる。
・・・俺は、真宵の森の中で、瘴気中毒で倒れたはずだ。
人の言葉を話す毛むくじゃらと、二、三言言葉を交わした所までは覚えているが、そこから先の記憶が無い。
「あいつは・・・なんだったんだ・・・?」
今更ながら、人の言葉を話す毛むくじゃらに疑問が湧く。
当然今まで生きてきた中で、そんな生き物と遭遇した事は無い。
意識も朦朧としている中での出来事という事を考えると、そもそも生き物だったのかどうか、もしかしたら瘴気中毒による幻覚幻聴の可能性すらある。
普通に考えたら、あの状況下で助かる可能性はほぼゼロに近いのだが、どうやら俺はまだ生きている。
森の外から人が来る事は考え辛いし、自らの火事場の馬鹿力とか何かで、自力で森から這い出たという事もあり得ないだろう。
という事は、あの毛むくじゃらが、ここに連れてきたと考える方がまだ合理的な気はする。
とすれば・・・アレは何の目的で俺を連れてきたのだろうか?
喰うつもりであれば、俺はとっくに喰われているだろう。
もしくは保存食のつもりか。
だがそれにしては、ここはちゃんとした人間の家の様に見える。
「・・・ぅぁ・・・」
頭に鈍痛が走る。
瘴気中毒の影響が残っているのだろうか。
と考えた所で、ふと気が付く。
「瘴気が・・・無い・・・?」
窓から差す光はどす黒く変色していないし、息苦しくもない。
という事は、ここは森の外なのか?
ベッドから這い出て窓の外を見てみるが、一面木が生い茂っていて、どう見ても森の中だ。
だが、俺が知らないだけで真宵の森とは別の森という可能性もなくもないが、とは言ってもこんな森の中に民家があるとも考え辛い。
窓の外を眺めながら考えを巡らせていると、生活音のする方からなにやら香ばしい匂いが漂ってきて、それに反応した俺のお腹がグゥと鳴った。
こんな状況でも人は変わらず腹は減る。
(ていうか、ちょっと待て・・・)
あまりにも自然過ぎて普通に受け入れてしまっていたが、生活音がしているという事は、すぐそこに何者かがいるという事だ。
素直に考えたら俺を助けてくれた人なのだろうが、特殊な状況下である事を加味すれば味方であるとも言い切れない。
むしろ、人ですらない可能性まで考えた方が良い。
幸い自分の荷物は隅の方で纏められていて、剣も問題なくそこにあった。
いずれにしても、正確な状況把握のためにも接触を試みる必要はある。
俺は意を決して剣だけを取り、音のする方へと向かっていった。
音を立てないように気を付けながら、壁を背にしてゆっくりと覗き込む。
するとそこには、腰まである金色の髪を靡かせながら料理に勤しむ少女の姿があった。
ここからでは横顔しか見えないが、その肌は陶磁器の様に白く滑らかで、まるで美術品の様に美しいその姿に思わず息を呑む。
目を奪われるというのは、まさにこういう事を言うのだろう。
その美しさに気を取られ、俺は足元が疎かになってしまったいた。
・・・ガタッ!
「・・・!!」
「しまっ・・・!!」
物音に驚き、こちらを振り向く少女。
長い睫に、くりくりとしたエメラルドグリーンの瞳とばっちり目が合ってしまう。
「・・・・・・」
「・・・・・・あ、と・・・」
俺は剣を持っていることも忘れて狼狽えてしまう。
少女はその一瞬、少し顔を歪め、なにやら泣き出してしまいそうな顔をしたかと思うと、すぐに無表情になる。
「・・・起きたのね」
実に平坦で、感情を感じさせない声。
俺はまず両手を上げ、敵意がない事を示す。
何から聞くべきか、何を言うべきか、言葉に窮してしまったが、何とか言葉を紡ぎ出す。
「・・・君が、助けてくれたのか?」
「私じゃない。ファウヌスがユ・・・あなたをここに連れてきた」
「ファウヌス?」
「おお、目覚めたか小僧!」
そう言いながら奥から現れたのは、褐色の肌に金色の瞳で、濡れた銀色に輝く長髪を無造作に垂らし、首からタオルを下げた・・・全裸の美女だった。
「なっ、ちょ!?」
急に現れたものだから、ばっちりとその裸体を拝見してしまい慌てて後ろを向く。
「ちょっとファウヌス!服着て!」
「あん?そんな息苦しいもの着てられんわ。面倒じゃのう・・・。・・・ほれ、これなら文句ないじゃろ。小僧、もう良いぞ」
許可が出たので、恐る恐る振り返る。
しかし、先ほどまでいたはずの美女は姿を消し、代わりに銀色の体毛に包まれた金色の目をした大きな犬がいた。
「我にとってはどんな姿だろうと変わりはないんだがのう」
「変わるの。いつも言ってるけど、あの姿の時はちゃんと服を着て」
「ハッ、ここにはお主と我しかおらんではないか。・・・と、今は小僧もおったか。だが、小僧とて我の裸体なんぞに興味なんかなかろう」
「そ、そういう問題じゃないの!」
「・・・いや、待て、待ってくれ。今・・・何が起きた?」
後ろを向いていたから、何が起きたのかさっぱりわからなかった。
美女が、犬に、変化した・・・?
「ふはははは!良い!良い表情だの小僧!実に滑稽じゃ!その様子じゃここで暮らしていくのにも苦労しそうじゃ」
「は・・・?ここで暮らす?いや、そもそも、ここはどこなんだ?」
「おかしなことを聞く。貴様は自ら森に侵入って来おったというのに」
「・・・じゃあ、やっぱりここは真宵の森の中、なのか?いや、でも瘴気が・・・」
「ふむ。何も知らんようじゃ。これは骨が折れそうじゃの、マナ」
「・・・」
「・・・マナ?」
その名前を聞いて、思わずすべての疑問が吹き飛んでしまいそうになる。
ファウヌスと呼ばれたその犬は、確かにこの少女の事をマナと呼んだ。
改めて、少女を見る。
金色の髪に、長い睫とくりくりとしたエメラルドグリーンの瞳。
マナは、栗色の髪と瞳をしていた。
だが・・・それ以外は、確かに面影を感じられるほど似ている。
子供の頃より、少し輪郭はシュッとしただろうか。
だが、色は違えど、瞳の形、鼻筋、唇、その全てが、マナの姿と重なって見える。
「・・・マナ・・・なのか・・・?」
「・・・」
少女は何も答えない。
「・・・どうして、来たの」
眉間にしわを寄せて、悲しんでいるのか、怒っているのか、なんとも言えない表情を見せる。
「なんで、来ちゃったの・・・ユーリ」
名前を、呼んだ。
俺の名前を。
「・・・マナ!」
俺は思わず、マナを抱きしめた。
「良かった・・・!生きてた・・・生きてた!」
涙が出そうになる。
彼女を見つけるために、会うためにこれまでやってきたのだ。
「ちょっと・・・くるしい」
腕の中のマナが、ぼそりと言う。
それを聞いて俺は慌てて腕を離した。
「ご、ごめん・・・!つい・・・でも、無事で本当に良かった」
「・・・無事?・・・これが無事と言えるのなら、そうなんでしょうね」
「え?」
しかし、マナから返ってきたのはそんな冷たい声だった。
「それは・・・どういう・・・」
「私は・・・来てほしくなかった。探してほしくなかった!なのになんで・・・こんな所まで来ちゃったの・・・?これじゃ、あなたまで・・・」
「・・・でも、約束しただろ。お前に何かあった時は、俺が助けに行くって」
「・・・!そんな、子供の頃の約束なんて覚えてないよッ!!」
マナは裾をぎゅっと掴み、それきり何も話さなくなってしまった。
俺は叫びにも似たその言葉に何も言えなくなってしまう。
「チッ・・・面倒じゃのう・・・我は腹が減った。まずは飯にせんか」
ファウヌスのその言葉に、俺のお腹が思い出したかのようにグゥと鳴る。
「ははっ!体は正直じゃのう。まぁ無理もあるまい。三日は寝込んでおったのじゃから」
「三日?!・・・そんなに経ってたのか・・・」
「ハッ、むしろよく三日で目覚めたと言えるがな」
「それはどういう・・・?」
「あー、そういう入り組んだ話は後じゃ後!飯!飯を食うぞ!」
そう言ってキッチンから出ていくファウヌス。
「・・・ユーリも座ってて。すぐ準備するから」
「・・・あ、ああ・・・」
そう促され、俺もキッチンから出る。
すぐそこにリビングの様な場所があり、大きな机と椅子が並べられ、人間の姿となったファウヌスが胡坐をかいて椅子の上に座り、グラスに水を注いでいる。
今度はちゃんと服を着ている。
俺はその向かい側に腰を下ろす。
「・・・ファウヌス、と言ったか。あの犬の姿もお前、なのか?」
「犬と呼ぶでない。姿形は似ておるが全く非なるものぞ。勘違いするでない」
「あ、ああ。すまない」
何か生物としてのプライドみたいなものがあるのだろう。
「どの姿も我じゃ。本来の姿ではこの人の住処にはちとデカ過ぎるでの」
「本来の姿?」
「ハッ、貴様はもう見ているであろう。覚えておるかは知らぬが」
「・・・じゃあやっぱり、ここに連れてきてくれたのはお前なのか」
「・・・不本意じゃがな」
グラスの水を飲みながら、目を細めてこちらを伺うように見るファウヌス。
「ありがとう」
「・・・あん?」
「ここに連れてきてくれたおかげで、マナと会えた。ありがとう」
「・・・ハッ。そのマナに拒絶されておるではないか。命懸けでここまで来たというのに。それでよくそんな事が言えるのう・・・」
先ほどと比べて低い声で意地の悪い顔をしている。
「・・・それは、別の問題だから。俺はずっとマナを探してた。マナに会えて嬉しい。それは間違いない。だからありがとう」
マナを探し続けていたのは、言ってしまえば俺の都合だ。
ただ生きていてほしいと願って、幼い頃の約束を果たすんだと息巻いて。
当の本人がそれを望んでいるかどうかは別にして。
生きていてくれて、嬉しい。
それは紛れもない事実だ。
それに、俺はマナに何があったのか、その真相を知らないのだ。
その真相も分からないのに、勝手に傷つくのは間違っている。
「・・・ふ・・・ははははは!なかなかどうして・・・。意外と冷静ではないか。のう?マナ」
振り返ると、食事が乗ったトレーを手にしたマナがそこにいた。
「・・・マナ」
「・・・食事、出来たから」
そう言って、それぞれの目の前に手際よく配膳していく。
マナは何も言わず、俺の隣の席に座った。
「・・・」
「久しぶりの食事なんだから、よく噛んで食べて」
「・・・あ、ああ。ありがとう。・・・いただきます」
出てきたのは、見た目な質素な野菜スープとやわらかそうなパンだったが、先ほどから鼻孔をくすぐるこの匂いが、ただの野菜スープとパンでは無い事を主張しているかの様だった。
その匂いだけで、俺のお腹はまたしてもグゥと鳴る。
スプーンを手に取り、黄金色に透き通ったスープを一掬いして、そのまま口の中へと流し込む。
「・・・はっ、はは・・・」
そのあまりの美味さに自然と笑いが込み上げてくる。
シンプルだが奥深く、旨味が口の中を優しく蹂躙する。
冗談抜きで人生で一番旨い野菜スープだった。
次にパンを手に取り、一口大に千切り口の中へと放り込む。
「くふっ・・・くふふ・・・」
自然と笑みがこぼれる。
香ばしさの中にふっくらとした優しい味わいで、もっちりとした食感が口の中を楽しませてくれたと思ったら、ジワリと溶ける様に小麦の良い香りが口の中に広がっていった。
俺はゆっくり食べろと言われた事も忘れて、次々と食事を口の中へと運んでいく。
「くふっ、はははっ、ははは」
「・・・なんじゃい小僧・・・気でもやったか・・・?」
笑いながら食べるものだから、ファウヌスはドン引きして憐れむような表情でこちらを見ていた。
しかし俺はそんな事もお構いなしにスープの最後の一滴まで綺麗に飲み干す。
「・・・いや・・・美味すぎる!なんだこれ・・・!」
そう言うと、視界の端の方でマナがなにやらモジモジしている様子が見える。
「美味いと笑うのかお主は」
「いや、しょうがないだろ。こんな美味いもん食ったら誰だって笑うだろ。衝撃的すぎる・・・!」
野菜スープが入っていたお椀を持ちながら力説する。
「ハッ、それは魔素の影響だろうよ」
「魔素?」
「お前らが瘴気と呼んでおるあれじゃ。・・・ん、厳密には違うか?・・・まぁよい。この森で育つ作物は全て、その魔素の影響を受けておる」
瘴気、と聞いて、あんなにも美味かったものが、急に得体のしれない物の様に思えてきた。
「・・・それ、食べてよかったやつなのか・・・?」
「問題ないじゃろう。ただ外と比べて強く逞しく育つというだけじゃ」
本来であれば植物に対しても毒であることには変わりがない。
だがその魔素に適応し、逞しく生き抜いた結果、森の外のものと比べて大振りで味も良く、長期保存にも向くらしい。
「瘴気にそんな作用があったのか・・・」
ただ毒である、という事しか考えていなかったが、見方を変えるとちゃんとメリットも存在していたらしい。
「ま、追々慣れろ。どうせお主はここから出られぬのじゃからな」
「・・・それ、どういう事なんだ?入れたなら、当然出ることだって」
「ハッ、我に連れて来てもらった、の間違いじゃろう?我がいなければ貴様は森の養分となっておったろうな」
「・・・それは」
確かにそうだ。
俺は自分の力でここまで来られたわけではない。
偶々運良く助けられたに過ぎない。
「ここからは、誰も出られぬよ。貴様も運よく適応が進んだみたいじゃしの」
「適応?」
「自分の姿を、見てみるが良い」
言いながら、鏡を取り出すファウヌス。
その鏡を見て、驚愕する。
「右目が・・・」
ブラウンだった自身の右目が、エメラルドグリーンに変色していた。
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