3・旅立ち


皇国騎士団第三師団に与えられた詰所は、修練場の隣にあった。
団員達の鍛錬の声と、木剣を打ち合う音が絶えず響き、常に活気溢れる場所だ。
そんな場所にあるから、当然詰所に向かう時には修練場にいる団員達と顔を合わせる事になる。

「お、ダンナぁ!どうです、手合わせでも・・・」
「馬鹿者、団長とお呼びよ!それに、アンタなんかと手合わせするくらいなら、アタシとやった方が団長もまだ有意義だろうさ」
「何を言う。そんなもの、やってみないとわからんさ」

2mを越える巨体に、筋骨隆々の身体。
自身の身長ほどもある巨大な大剣を背負い、その身体から放たれる威圧感とは裏腹に、人懐っこい笑顔で俺に話しかけてきたのは、ディオ・レンブラント。
力の強さだけで言えば騎士団内でも一、二を争うだろう。
模擬戦も常に上位の力自慢だ。
だがその巨体に似合わず、案外手先は器用という一面も持つ。

「はっ。アンタには駆け引きってモンが無いんだ。力だけで押し切れる間が花さね」

そして、姉御口調のこの女性はマリー・ノーラ。
筋肉は目に見えて大きいわけではないが、きゅっと引き締まっていてぎゅっと凝縮されている。
ショートヘアに横髪だけ長く伸ばしたヘアスタイルがよく似合っている。
マリーは騎士団員にしては頭が切れる人物で、その戦い方も多種多様。
俺も彼女には結構苦戦させられることが多い。

「二人とも精が出るね」
「何寝ぼけた事言ってんだい団長。アタシらはこうして日々鍛えるのが仕事だよ。ってことで一戦、どうだい?」
「あ、ずるいぞマリー!先に声をかけたのは俺だろう」
「ハン。ぼさっとしてるからさ」

このように、詰所へ行くときは毎回熱烈なお誘いを受ける。
騎士団という部署柄なのか、やはり団員達は皆揃って血の気が多い。

「あー・・・すまない。仕事があってな」
「そうかい。また気が向いたら相手してくれ。ディオ、やるよ」
「ああ、今度こそ決着をつけてやろう」
「ハン!ほざいてな。次こそアタシが勝つね」

この二人はよく手合わせをしているが、決着が付いたのを見た事が無い。
毎度毎度引き分けで終わっている。
それだけ実力が拮抗しているとも言えるし、戦闘スタイル的にもお互いに決定打が作れないというのも原因だろう。
ディオはまさに力押しといった感じで、マリーは手練手管を使う。
マリーの手練手管に対し、ディオは強靭な肉体と精神を以って(鈍感ともいえるが)跳ね返し、マリーはディオの力押しを軽く受け流してしまう。
実践となれば話は変わってくるだろうが、訓練に於いてこの二人の決着は付く事は無い気がする。

「あ、そうだ、ディオ、マリー!またしばらく空けるからカズィの事、頼むな!」
「おう!」
「ああ、わかったよ」

ディオは拳を上げて、マリーは背中を向けたままひらひらと手を振って応える。
訓練に向かう二人を見送り、俺は詰所へと向かった。
詰所の入り口には、大きめの止まり木が用意してある。
そこを居場所としているのが、第三騎士団の仲間、カズィだ。

「よぉカズィ。今日も元気そうだな」
「クァァ・・・」

カズィは嘴の下を撫でられて気持ちよさそうに声を出す。
白い羽毛に所々茶色が混ざり、金色の瞳を持った猛禽類、の様な見た目をしている。
というのも、彼の生態は実はよくわかっていないのだ。
真宵の森付近の遠征時に、力なく倒れていた所を保護して、快復後も森に帰る事もせずここに居続けている。
特に繋いでいるわけでもなく、彼は好きに飛び立てる状態にも関わらず、だ。
偶にネズミやらウサギやらを狩っている所を見ると、自然界で生き抜く力も失われていないように思える。
彼なりにここを気に入ってくれているのかと思うと、少し嬉しくなった。

「お前も、ここが好きか?」
「クァア!」
「はは、そうか」

言葉を理解しているのかは分からないが、まるで肯定するかのようにその大きな羽を広げて見せる。

「さて、と」

俺が詰所に来たのは異動の準備をする為だ。
もちろん異動の事は公には公表されていないし、これからもされない事になっている。
親父に詳しく聞いたところ、俺は表向きには騎士団所属のまま化学部門の仕事をする事になるらしい。
だが考えてみれば、こんな異例の人事が行われたと公表されれば、当然その裏を読もうとする者が出てくる。
マリーなんかは確実に目を細めて見るだろう。
そして・・・騎士団の仕事の中に、それを紛れ込ませられる実務がある。
遠征だ。
土地の開拓や調査の前段階として、他の部門の者と連携して下見を行う仕事だ。
この遠征という形で、俺は化学部門からの任務を遂行する事になる。
その初任務の内容はすでに伝えられている。
『瘴気軽減装置の実地使用による影響と効果に関するレポート提出』が俺に与えられた任務だ。
人間は、長い時間瘴気に触れていられない。
長く振れれば気が狂い、前後不覚となり、呼吸困難となって気を失うと同時にあの世行きだ。
触れられるのもせいぜい五分程度が限度だろう。
それもあって、真宵の森一帯は立ち入り禁止となっている。
今回はその瘴気の影響を軽減してくれる装置のテスト運用、といったところだ。
装置、とはいうものの、渡されたのは赤い宝石の様な石が付いたペンダントで、しかもまだ試作段階とも言っていて、うまく発動してくれるかも未知数の代物。
・・・要するに、人体実験という事だ。
遠征に行って帰ってくれば良し、帰ってこなくてもそれはそれで良し、という化学部門の思惑が見て取れた。
そういう意味で言えば、俺は実に都合のいい人選だったのだろう。

「巻き込まれるとか、それ以前の話だったな・・・」

遠征準備をしながら、誰もいない詰所で失笑する。
しかしその任務は俺にとっては渡りに船ともいえる内容だった。
真宵の森の探索はずっとしたくても出来なかった場所。
マナの足取りを追う中で唯一、最後まで確認ができていない場所だ。
例え人体実験だろうと森に入れる可能性があるのなら願ったり叶ったりだ。

「・・・よし」

すべての準備を終え詰所を出る。
外に出ると、カズィがこちらを覗き込んできた。

「・・・はは。また少し空けるが・・・みんなの事、よろしく頼むな」
「クァァ・・・」

同じように嘴の下の方を撫でてやると、手にスリスリと頭をこすりつける様に甘えてくる。

「じゃ、行ってくる」

挨拶を済ませ、馬に跨り、アルシオン城を後にした。
詰所は裏門に直結していて、騎士団が外に出るときは主にこの裏門が使用される。
正門は行商や市民が行き交う場所で、そこを騎士団を使うと威圧感を与える、市民に何が起きたのかという余計な不安を煽ってしまう、そういう理由からだ。
裏門を出ると、親父が仁王立ちで待っていた。

「・・・親父」
「・・・行くのか」
「ああ、もう話した通り俺は」
「いや、いい。わかっている」

親父は深く息を吐くと、俺の顔をじっと見つめた。

「・・・なんだよ」
「・・・いつの間にか、でかくなったな」
「なんだよそれ」
「いや、すまん。・・・行ってこい」

それだけ言うと、親父は踵を返して城内へと戻っていった。
あんなにも大きいと思っていた親父の背中が、なぜだか少しだけ小さく見えた気がした。

「・・・行ってくる」

その背中に、小さく声をかける。
届いたかどうかは分からない。
今の俺達には、それだけで十分なように思えた。

真宵の森はアルシオン城下街からそれほど遠くない場所に位置している。
なぜ瘴気を纏った危険な森から程近いところに城を建てたのかは謎だが、恐らく地政学的な何かに都合が良かったのだろう。
ある程度広い平野である事と、森があることによって外敵の侵攻の予測がたて易いという理由もありそうだ。
戦争によってその力を膨らませていった皇国にとって、それは重要な意味を持ったことだろう。
しかし大陸の全てを吞み込んだ、そんなアルシオン皇国でも、大陸の四分の一を占めるこの真宵の森だけはどうにもできなかった。
自らが治める大陸に未知の領域があるというのは、治める側からすれば何とかしておきたい問題だろう。
化学部門がこの森に拘っているのも、そのあたりが理由なのかもしれない。
そんな事を考えていたら、空の色がだんだんと赤や紫といったマーブル色に変化していく。
瘴気が光を遮り屈折させることで、人の目にはこのように見えるらしい。

「・・・いつ見ても不気味な雰囲気だな」

馬を降りながら一人呟く。
これ以上は馬にも影響が出かねない為、一人で向かうしかない。

「ありがとう。一人で帰れるか?」

馬の首筋を撫でると、口元を肩の所に持ってきて少し戸惑うような、不安そうな仕草を見せた。
しばらく宥めてやると、満足したのか街の方へと向かっていく。
頭のいい子だ。

「・・・さて、と」

化学部門から預かったペンダントを首から下げ、宝石の様なものをぎゅっと握りしめる。

「うまく動作してくれよ・・・」

そう祈ってはみるが、かなり半信半疑であることは否めない。
何せただ首から下げているだけで、どう作用するかすら未知数なのだから。
だが、もう進むしかない。
意を決して、俺は森へと歩を進める。
とにかく行けるところまで行ってみよう。

しばらく進むと、かなり呼吸がし辛くなってきた。
空はどす黒く変色しているが、太陽の光は届いているらしく、辺りは明るい。
心なしか空気は重く、生ぬるい。
この場所のすべての事象が、否応なく不安感を煽って来る。
足が重い。
それが瘴気の影響なのか、恐怖心から来るものなのかは定かではないが、それでもと足を前に進める。
ペンダントを見ると、赤かった宝石のような物がエメラルドグリーンに変色して、薄く発光し始めていた。

「・・・機能はしてる、のか・・・?」

変化は見られるものの、これが果たして正常な動作なのかは判断できなかった。
なにせ、物を渡されただけでその詳細を一切伝えられていないのだ。

「全く・・・これで何を判断しろって言うんだ」

起きた事をそっくりそのままレポートしろ、という事なのだろうか。
しかしそれも、生きてここを出られたら、の話なのだが。
瘴気軽減装置とやらは反応しているようだが、しかしその効果が出ているかと言われれば、今のところそれを体感できていないのが現状だ。
呼吸は浅く、体は重く、それに加えて頭痛と眩暈。
・・・瘴気中毒そのものの症状。

「・・・くそ・・・全然効かないじゃねぇか・・・!」

その可能性を考慮していなかったわけではない。
それでもと、一縷の望みをかけて森へ入ることを選んだのは、外ならぬ自分自身だ。

「・・・ぐっ・・・!」

体の力が抜けて、とうとう倒れ込んでしまう。
この状態では、瘴気の薄い所へ戻ることも出来ないだろう。
少しでも楽な態勢をとるために、何とか大木まで身体を引き摺って辿り着く。
その大木に背中を預けて座り込むのがやっとの状態だ。

「・・・はぁ・・・はぁ・・・」

激しい運動をしたわけでもないのに息が上がる。
視界も朧げになってきた。
その朧げな視界の中に、大きな毛むくじゃらが入り込んできた。

「・・・ふん。妙なにおいがすると思って来てみれば・・・貴様か、小僧」

その毛むくじゃらはどうやら言葉を話すらしい。
普段であればもっと狼狽するのだろうが、死の間際にいるからか、そんな事は微々たる問題だと感じた。

「・・・はっ・・・どこかで、あった事、あるのか?・・・俺には、喋る・・・毛むくじゃらの、知り合いは・・・いない、筈、だ」

息も絶え絶えに何とか言葉を紡ぎだす。

「ははははは!私を毛むくじゃらとは。いい度胸だのう小僧。そのまま息絶える前に、我が飲み込んでやろうか」
「やって、みな・・・食われた、瞬間・・・喉に、突き刺して、やる・・・」

震える手で剣を抜き、どうにか毛むくじゃらに向ける。

「ハッ。いっぱしの胆力は鍛えてきたようだな。・・・なぜここへ来た」
「俺、は・・・マ、ナを・・・」
「・・・マナ?」

そこまで言って、俺の意識はどんどん遠のいていく。
そういえば、昔もこんなことがあったような・・・。

「・・・さて、どうしたものかのう」
「連れて行こう」
「彼なら、助けられるかもしれない」
「・・・この小僧に何かできるとも思えんが・・・」
「そうだね。何もできないかもしれない」
「でも、何か変わるかもしれない」
「・・・フンッ」

遠のいていく意識の中、そんな会話が聞こえた気がした。


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