11・異変


約束とか、使命だとか、そんな言葉を使っていたものの、本当の所はもっと単純な事だった。
俺はただ・・・『マナに会いたかった』だけだ。
マナと話をして、話ができて、それを痛感した。
俺は、余計な事を考えすぎていたのかもしれない。
こうして今マナと共に過ごせている事が、何よりではないか。

(・・・森を出るって事に、そこまで拘らなくてもいいのかもな)

そんな事を思った。
だってそうだろう。
ここに居たって、何か不自由をしている訳でもない。
むしろ皇国にいるよりも快適なくらいだ。
食事だって美味しいし、住居環境だって言わずもがなだ。
ファウヌスもいるから、猛獣に襲われるなんてこともほぼ無いだろう。
心残りがあるとすれば、家族と会えないことくらいか。
だが森を出ようとして瘴気の中を歩き、結果倒れてしまっては元も子もない。
このままこの森の中で暮らしていくのも、悪くない選択肢のように思える。

「・・・」
「どうしたの?」
「・・・いや、なんでもない」

そんな事を考えつつも、心のどこかで妙な違和感を覚えていた。
だがその違和感は正体を掴ませないまますぐに霧散していった。

「ファウヌスはどこまで行ったんだろうな?」
「んー・・・まぁそのうち帰って来るでしょ」

日頃からファウヌスはふらっとどこかへ出かけては、ふらっと帰ってくる。
かと思えば一日中家の中にいる時もあって、本当に自由気ままに生きている。
それに、あのファウヌスがまさか森の猛獣たちにやられるとも思えない。
きっと今日もまたふらっと帰って来る事だろう。

「やぁ、お邪魔するよ」
「お邪魔、する」
「うわっ?!」
「えっ?!」

気が付くとそこには、リリスとイヴがいた。
本当に文字通り、気が付くとそこにいた。
俺は仮にも騎士だ。
気配には人並み以上には敏感だと自負しているが、この二人がこの距離にいるのを目視で確認するまで、全く、気配すら感じられなかった。
森での生活に慣れて、感覚が鈍くなってしまったのかと一瞬思ったが、それはあり得ない。
狩りに出れば獲物の位置を把握できたし、ホップラビットの攻撃を読んで避ける事も出来ていた。
しかも森の外よりもはるかに強い奴の攻撃に反応できているのだ。
感覚が鈍っている事は考えずらい。
それなのにこの二人は、今この瞬間突然この場所に現れたかのようだった。

「ああ、すまない、驚かせてしまったね」
「・・・ごめん、なさい?」

イヴは何故か疑問形だった。

「・・・いや、大丈夫だ」
「あなたたちがここに来るなんて珍しい。どうしたの?」
「いやなに、少し、調べて欲しい事があってね」
「皇国の事か?それなら・・・」

昨日カズィに、と言おうとしたところを遮られる。

「いや、それとは別だよ。今日お願いしたいのは瘴気についてだ」
「瘴気?それはむしろあなたたちの方が詳しいんじゃない?」

マナの言う事も尤もだ。
得体のしれない二人ではあるが、この森については他の誰よりも知っているはずだろう。
それがなぜ・・・。
しかもそれが瘴気についてと来た。

「まぁ、知識としては当然そうなのだけれど・・・。少しおかしなことが起きていてね」
「おかしなこと?」
「・・・瘴気がね、一部、薄くなってきているんだ」
「えっ?!」

瘴気とは、魔素が不純物と混ざって生まれたものだ。
それが薄くなる・・・?
状況としてはあまり考えられない事態だ。
森には濃い魔素が充満していて、森の外からは不純物が入ってきている。
瘴気が薄まる要素はどこにもないはずだ。

「森の魔素が薄まったとか、森の外が綺麗になってきた、とか、そう言う事ではないんだろう?」
「・・・そうだね。その辺りの状況は何ら変わりないよ。だからおかしいのさ」
「私がこの森に住むようになってから、こんな事一度だってなかった。だから、私はここで暮らすしかなかったのだけど・・・」
「・・・あ、そうか」
「え?」

薄くなっているという事は、ここから出るチャンスでもある。
この森を出て、皇国で暮らすという事だって可能かもしれない。
そう思い辺り、思わずマナの顔をじっと見てしまう。

「・・・な、何・・・?」

少し頬を赤らめたマナは髪を耳に掛けながら少し目線を外す。

「・・・いや、なんでもない」
「・・・?」

マナは眉間に皺をよせながら、少し唇を尖らせている。
そんな表情に思わずドキッとしてしまう。
マナと一緒に居たい。
それがたとえどんな場所で在ろうと構わない。
大事なのは、マナの意志だ。
俺はまだ、マナ自身がどうしたいのかを聞けていなかった。
とは言え、現状俺たちは魔素無しでは生きられない身体になってしまっているから、例え外に行きたいと願っても出られない状態ではある。
だが・・・マナが望むのであれば、それだっていずれ解決してやろうとさえ思っているのだ。
我ながらどうかしていると思う。
でも俺は、誰よりも諦めの悪い男なのだ。
それこそ、ずっとマナを探し続けるくらいには。

「・・・とにかく、見に行ってみよう。そこで俺たちが何ができるかはわからないけど・・・」
「そうね」
「お願いするよ。何かわかったら遺跡まで来てほしい」
「わかった」

俺たちはさっと準備を整えて、瘴気が薄くなっているという場所に向かった。
リリスが言っていた場所は、皇国がある方角。
森の中心地と皇国を結んだその直線状の部分だ。
指定された場所に近づくにつれ、空の色が変化して行く。
赤や紫などが入り乱れるマーブル色。
瘴気のエリアが近い証拠だ。
人間の不安をこれでもかと煽るような空色にきっと慣れる事は無いだろう。
その時は意識も混濁していたからあまり定かではないのだが、ここはおそらく俺がこの森に入ってきたあたりだ。
かすかにではあるが見覚えがある。
その時と比べると、若干ではあるが、空の色が薄くなっているような気もする。
以前は明るさはあるものの黒に近い空色だったのが、今は本来の空の色である淡い青色が入っている。
瘴気が薄まっているというのはどうやら本当らしい。
と、空を見ながら思っていると、道の先には何やら見知った背中があった。

「ファウヌス!」
「ん、おお、ユーリか。マナも一緒か」
「ええ。リリスとイヴがうちに来たわ」
「ふん。相変わらず森の異変には敏感な奴らじゃ」

そう言うファウヌスも現場にいるのだから、同じく異変を感じたのだろう。
丁度ファウヌスが立っている場所あたりが、濃い瘴気と薄まった瘴気の境目になっているらしい。
空色がここから急にどす黒く変色した。

「・・・なぁ、いったい何が起きてるんだ?」

魔素に適応した身体とはいえ、瘴気に長く触れているのも気持ちが悪く、少し下がりながら周りを見る。
ファウヌスも濃い瘴気の場所から背を向け、こちらに来てくれた。

「・・・瘴気が薄くなっている。原因は分からん。じゃが・・・なにやら妙な気配がするのぅ・・・」
「妙な気配?」

わかる?と声には出さずマナの顔を見る。
マナは静かに首を振った。

「お主等には分からんじゃろうな。・・・この、胸の奥がザワザワするような、気色の悪い気配・・・これは・・・」
「・・・ねぇ、あれ・・・」

とマナが指を差した方に、人影が見えた。
境目の奥の方だ。
だが、人影としてはなにやら妙な動きをしていて、黒い影が、ユラユラ、ユラユラと揺れている。
およそ人間にはできないであろう動きに、底知れない気持ち悪さを感じた。
だがその人影は、どこかで見た事がある様な・・・。

「ファウ・・・ヌス・・・?」
「ハッ・・・!なんじゃありゃあ・・・!」

その人影は、まるでファウヌスの生き写しの様な姿形をしていた。
身体に影を纏い、ユラユラと揺れている。
ファウヌス自身も、信じられないといった様子でジリッと身構える。

「気色悪いはずじゃ・・・この気配は、我自身じゃ・・・!」
「は?それってどういう・・・」
「のんびり話をしてる場合じゃなさそうじゃぞ・・・!」

ウオオオオオオ・・・!!!
雄たけびを上げながら影はメリメリと大きくなり、狼形態へと変化していく。

「ハッ!我であればもっと優雅に変化せんか・・・!」

言いながら、ファウヌスも同じく狼形態へと変化して、先手必勝と言わんばかりに、襲われる前に影に向かっていく。
二、三メートルはあるであろう巨体同士がぶつかり合う・・・!
ガキィン!と身体同士がぶつかったにしては不釣り合いな音が響く。

「・・・ッ!ユーリ!!」

名前を呼ばれ、ハッとする。

「マナ!!」

名前を呼び、マナの腕をつかんで一目散に駆ける。

「待って!ファウヌスが・・・!」
「いいから!逃げるぞ!!」
「でも・・・!」
「足手纏いだ!!!」

マナの抵抗を一蹴する。
俺たちがここに居ればファウヌスは存分に戦えない。
影がファウヌスと同じというのであれば、尚の事だ。
戦いに於いて、1+1は必ずしも2になるわけではない。
悔しいが、第三師団が束になってかかっても、一太刀浴びせるくらいが関の山だろう。
それほどの差が、ファウヌスと俺達にはある。

「・・・ッ!ファウヌスは私の家族よ!置いていくなんて・・・!」
「ここに居れば全員死ぬぞ!」
「いや!離して!もう二度と、家族とは・・・!」

悲鳴交じりのその言葉は、心からの叫びだろう。
だが、今はそれを聞いている暇はない。

「くっ!」
「あうっ!」

やむを得ず、マナには気絶してもらう。
兎に角ここから逃げなければ。
一旦影と距離を取ったファウヌスがマナの様子を見て小さく頷いた。

「マナを頼む」

ファウヌスはそれだけ言って、影にまた立ち向かっていく。
この覚悟を俺は背負わなくてはならない。
騎士として、男として、そして何より、仲間として。

「死ぬんじゃねぇぞ」
「ハッ!誰に言うておる・・・!」

力強く答えるファウヌス。
それを受けて、俺はマナを抱えて家へと走った。
今は、信じて走るしかなかった。

家に着くと、気を失っているマナを寝かせ、腰に差している剣の柄を握りしめる。
あの場は一旦離れはしたが、俺だってファウヌスをそのままにしておく気などさらさらないのだ。
だが、考えなしに突っ込んで行っても無駄死にになる。
これはファウヌスが身体を張って作ってくれた時間だ。
一秒だって無駄にするな。
考えろ。
あの時あの場所で何か見落としは無いか。
考えろ。
影の挙動で、どこかおかしなところは無かったか。
考えろ!
何も思いつかなくても、考え続けろ・・・!
何か、この戦況を打開する何かを・・・!

「・・・!もしかして・・・!」

一つだけ、違和感をつかみ取った。
もしかしたら違うかもしれない。
だとしても、何もしなければ状況は何も変わらない。
俺はファウヌスの元に向かって走り出した。

「はぁ・・・はぁ・・・!」

喉がヒューヒューと音を立てる。
肺は空気をよこせと喚きたてる。
全力疾走での往復は、なかなかにきつかったが、そうも言っていられない。
どす黒い空の下に、二つの大きな巨体がぶつかり合っている。

「ファウヌス!!」

喉が張り裂けそうなほど、全力で叫ぶ。

「・・・!なぜ戻って・・・」

その言葉を遮って、俺は叫んだ。

「こっちに来い!影はそこから出られない!!」
「・・・!!!」

端的に言い過ぎてしまい、伝わるか不安だったが、ファウヌスは素早く跳躍してこちら側へと下がった。
すると、案の定、影は濃い瘴気の中からこちらへは来ようとしない。
・・・どうやら予測は正しかったようだ。

「よく・・・気付いたの」

ぼろぼろの身体を引き摺って、ファウヌスが言う。
俺はふぅーっと深く息を吐いた。
未だ呼吸は整わない。
息も絶え絶えに答える。

「ぜぇ、ぜぇ・・・賭けでは、あったけどな・・・。必死に、思い返して・・・多分、そうじゃないかと」

影は、そこから動くことなく、じいっとこちらを見ている。
心なしかその境界を恨めしそうに見ているようでもあった。

「それにしては、言い切っておったがの。違っていたら、どうするつもりだった」

ファウヌスはさすが、すでに息が整いつつある。
だが美しい毛並みは血に塗れ、治療が必要であることには変わりないだろう。

「違っていても、また何か考えたさ。その場で」
「・・・そうか」

ばたんと、二人して地面に倒れ込む。

「あーもう無理。なんだよこの森。ってかなんだよあの黒いの。わけわかんねぇよ」
「そうだの・・・。我と同じ気配を放っておるのも気持ちが悪い。瘴気が薄くなっているのはあ奴が原因かの・・・」
「とりあえず、ちょっとだけ休憩して帰ろう」
「・・・あー、ユーリ。すまん」
「どうした?」
「我はもう立てそうもない。すまんが運べ」
「その巨体をか?!無茶を言うなよ!」
「騎士様なら余裕であろう・・・」

そう言い残し、ファウヌスは気を失ったようだ。

「・・・やってやる」

自分の倍ほどもある巨体を背負い、俺は再び帰路につく。
男として、騎士として、俺にだってプライドがある。
ああ言われれば、やるしかない。
絶対に、二人揃って無事に帰りついてやる。


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