10・落花流水


「マナっ・・・!!!」

飛び起きると、窓に留まっていたであろう小鳥が慌てて飛び立ち、小さな羽音が遠ざかっていく。
日光が差し込み部屋の塵が光を反射してキラキラと輝いていた。
無意識に呼吸が浅くなっている事に気付いて、息を大きく吸う。
肺に溜まった空気は小刻みに震えながら吐き出される。
どうやらいつの間にか眠っていたらしい。

「・・・夢・・・どこから・・・?」

自らの過去の回想と、夢との狭間が曖昧で、頭はクラリとする。
服は寝汗でびっしょりだ。

「・・・風呂、入るか」

のそりとベッドから起き出し、部屋から出る。
部屋から出ると、すでにマナとファウヌスは起き出しているのか、生活音が響いてくる。
その音に少しだけ安堵しつつ、階段を降りリビングへと向かう。

「おう小僧・・・ひっどい顔しとるのぉ」

ファウヌスの相変わらずの憎まれ口もどこか愛おしく感じてしまう。

「少し、夢見が悪くてな・・・。汗流してくる」
「そうか」

タオルを手にしてバスルームへと向かう。
森の中だというのに、この家には上下水が完備されている。
どう言った仕組みを使っているのかは分からないが、蛇口を捻れば水が出るし、薪を燃やせば温かいお湯になる。
技術面で言えば、皇国の最先端設備がこの家には備わっている。
だからか、森の中で暮らす不便さというのは、今の所何も感じていない。
むしろ皇国よりも暮らしやすいのではないかと思うくらいだ。
脱衣所で服を脱いでバスルームの扉を開ける。

「・・・・・・え?」
「・・・・・・は?」

少しだけ、時が止まったような感覚。
滑らかな肢体に、昔よりも成長した双丘。
金色の髪が濡れて、エメラルドグリーンの瞳が大きく見開かれる。

「・・・・・・っ!!!」
「うわぁああああああ!!!ごめん!!!」

声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
みるみるうちに真っ赤になっていくマナの顔。
バスルームから飛び出して、とにかく逃げる。
勢いそのまま、リビングまで戻ってきた。

「朝から騒がしいの!」
「お前!言えよ!絶対知ってたろ!」

苦言を呈してくるファウヌスに抗議の声を上げる。

「何の話じゃ」
「汗流すって言ったじゃん!マナが使ってるなら!言ってくれよ!」
「別にマナが入ってようが問題なかろう。・・・そんな事を言うなら小僧、お主のそれは隠さなくてよいのか」
「えっ?!」

兎に角逃げる事に必死で、自分の今の格好を忘れていた。
脱衣所で服を脱ぎ、そのまま逃げてきたものだから、今の俺は一糸纏わぬ姿となっていた。

「・・・っみ、見るなよ!!」
「貴様が見せてきたんじゃろうが!!」

ファウヌスの声を背に受けながら慌てて自室へと駆け込み、服を着る。
心臓の鼓動がうるさい。

「・・・はぁぁぁ・・・」

深く息を吐いて、呼吸を落ち着かせる。
失敗した、と思った。
ここに来た時と比べると、マナはその態度を徐々に軟化させ始めてくれていた。
それがまた元に戻ってしまうのではないか・・・。
そんな心配が頭をよぎる。
だがこのまま自室に引きこもっているわけにもいかず、意を決してまたリビングへと戻ると、すでにマナがバスルームから出てきていた。

「・・・あっ・・・と・・・」
「・・・」

咄嗟に言葉が出てこない。

「・・・そのー・・・ごめん」
「・・・ん」

マナはそれだけ言ってこちらを見ようとしない。

「なんじゃこの空気・・・裸見たくらいで」
「ファウヌスは黙ってて」
「・・・はい」

今まで聞いたことのないくらいドスの効いた声だった。

「・・・もう上がったから、使っていいよ」
「・・・ありがとう」

謝りはしたが気まずさが消える筈もなく、俺はそそくさと脱衣所へと向かった。
脱衣所から扉を開けてバスルームへ入ると、少し甘ったるいような香りがした。
普段はそんなに気にしない事にも、先ほどの事もあり意識してしまい、頭の中でマナの姿が再生されてしまう。
そんな煩悩を振り払うようにかぶりを振り、蛇口を捻って、敢えて冷水を流す。
上から降って来る冷水を頭で受け止めて物理的に頭を冷やす。

「・・・フゥゥゥ・・・」

深く息を吐く。
どんどん身体は冷えていき、頭も冷え、煩悩も洗い流されていく。
そういえば、ディオが昔、精神統一には滝行が良いぞと言っていた。
少しではあるが、今ここでその効果を実感する。
これはもっと積極的に取り入れてもいいかもしれない。
だが、このまま冷水を浴び続けていてはいくら身体を鍛えているとはいえ風邪をひきかねない。
最後に少しだけ温水を浴び、体を温める。
寝汗でべたついていた身体はすでにすっきりしていた。
そのまま温水を止めて、バスルームから出る。
脱衣所には皇国では高級品の部類に入る鏡も置いてある。
改めて考えてみても、この家は非常にハイスペックだ。
文明レベルが一つ違うように思う。
身体を拭き上げ、服を着て身だしなみを整える。
脱衣所から出てリビングへと向かう。

「おかえり」
「・・・ああ、ただいま」

マナはもうすでに切り替えているのか、暖かい何かを飲みながら本を読んでいた。

「・・・ファウヌスは?」
「外。狩りでもしてくるって」
「そうか」

多分いたたまれなくなって逃げたんだろう。
ファウヌスにはうまい獲物でも期待しておこう。

「それ、何飲んでるんだ?」
「珈琲」
「え・・・ここでは珈琲も採れるのか」

珈琲豆の栽培は一部地域でしか出来ず、皇国に輸入される頃には値段も跳ね上がるほどの高級品だ。
それがここにあるという事は、森の中で栽培しているのだろう。
本当にこの森では様々なものが採れる。
この森の中で採れない物はないのではないかと思うほど、世界中のあらゆる作物がここでは採取できる。
まるで世界がここだけで完結しているかの様に。

「飲む?」
「いいのか?」
「待ってて」

マナはキッチンに向かって、珈琲を注いでくれた。
良い香りが漂う。
最初の頃と比べると、マナは随分と態度を軟化させてくれている。

「パンも食べる?」
「ああ、ありがとう」

珈琲と一緒に、パンも持ってきてくれる。
皇国にいた時も、珈琲は数えるほどしか飲んだことが無い。
その時の事を思い出していると、想像とは違う漆黒の液体が出てきた。

「・・・何これ?」
「・・・何って、珈琲だけど」
「これが・・・珈琲?こんなに黒かったっけ?」
「・・・あ、ミルク必要?待ってて」

マナはもう一度キッチンに行き、ミルクを持ってくる。
カップに注がれた漆黒の液体の中に、少量のミルクを垂らしてかき混ぜる。
すると、俺の良く知るブラウンの珈琲になった。
一口含むと、マイルドで甘く、鼻に爽やかな香りが抜けていく。
ちゃんと飲んだことのある味だった。

「・・・皇国の珈琲って、ミルクが入ってたのか」
「もしかして、それしか知らなかった?皇国ではミルク入りが主流なんだね」
「ああ、珈琲って本来は黒いんだな」
「うん。私は何も入れないブラックが好き。飲んでみる?」
「ああ、試してみたい」
「はい」

さっきまでマナが使用していたカップを渡される。
黒い液体を飲むというのも少し勇気がいるが、思い切って口に含んでみる。

「・・・!っにっっが!!」

下の上で苦味が広がる。
だが、鼻に抜ける香りが良く、後味はそこまで悪くない。
むしろ爽やかさもあり、後から甘味が少し口の中に残る、不思議な感覚だ。

「あはは!凄い顔・・・!それが、珈琲本来の味だよ」
「・・・これは、ちょっと慣れが必要かもしれない・・・」
「ミルク入りに慣れてれば、そうかもね」

今のところはミルク入りの珈琲を飲むことにする。
苦味が緩和されてとても飲みやすい。
香りも良く、頭がスッと冴えわたる様な感覚さえある。
朝の穏やかな空気の中、俺は思い切って聞いてみる事にした。

「・・・なぁマナ」
「何?」
「人って・・・どう作るんだろうな」
「・・・は?」

ぽかんとするマナ。
その後一呼吸おいてから、少し顔を赤らめる。

「えと・・・そりゃ・・・その・・・っていうかなんで、そんな事聞くの・・・!」
「・・・え、あ、いや!そういう意味ではなく!」
「え?」

聞き方が悪かったと少し反省する。

「その、そういう、普通の・・・というか、それ以外の方法で」
「それ以外?って何?・・・無理、じゃない?普通に考えて」
「・・・そう、だよな」
「なんで?」
「いや・・・作られた人間って、どういう事なんだろうって」

遺跡の二人から聞いた言葉を、そのまま繰り出す。
その言葉を聞いて、マナの顔が少し陰りを見せた。

「・・・会ったの?」

リリスとイヴ。
マナはやはり、あの二人の事を知っていた。

「西の遺跡で。・・・なぁ、マナ。知っている事があるなら教えて欲しい。人間を作る。魔素をうまく使えばそれも可能だとあの二人は言っていた。・・・本当にそんな事が可能なのか?」
「・・・・分からない。少なくとも、今はできないでしょうね」
「今は」
「ええ。今は」
「昔は出来た、出来た可能性があるって事か?」
「それも、分からないわ。あの二人が言っている事が全てだとも思えないもの」
「・・・そう、だよな」

マナの言っている事が全てだ。
今の所、人間を作るなんて話は、リリスとイヴが勝手に言っているだけの事だ。
信じるに値する根拠が何一つとして足りていない。
だから俺は、自分がどんな人間だったか、それを確認するために過去を反芻したのだ。

「・・・なぁ、俺って、どんな子供だった?」
「どんな?・・・そうね、元気で活発。それと、よく人助けしてた」
「人助け?俺が?」
「そうだよ。でもそれも、ユーリにとってみれば人助けでも何でもなかったのかな。それが日常に組み込まれているくらい、ユーリにとっては普通の事だったのかも」
「うーん・・・」

人助け、と言われても、いまいちピンとこない。

「例えばどんな?」
「うーん・・・例えば、忙しい両親に代わって近所の小さい子とよく遊んであげたりとか」
「ああ、楽しかったな」
「おじいさんを亡くされたおばあさんの話をよく聞いてあげてたりとか」
「お年寄りの話は為になるよな」
「屋台のおじさんの代わりに店番をしたり」
「ああ、奥さんが出産間近だったから」
「喧嘩の仲裁をしたり」
「いい腕試しだったな」
「・・・これ全部人助けじゃない?」

人助け・・・というより、俺にとってはそれが自然な事だった。
近所の子と遊んだのは俺が遊びたかったからだし、おばあさんとは俺が話をしたかっただけだ。
屋台の店番だって、やってみたかったからだし、喧嘩の仲裁なんかは、俺の腕試しで勝手に首を突っ込んで、むしろややこしくさせた方だと自分では思っている。

「うーん・・・自分勝手に生きてるだけだしなぁ」
「ほら、そういう所。昔から全然変わってない。・・・だからこんな所にも来ちゃうのよ」
「え・・・」

どこか諦めたような表情で、力なく笑うマナ。

「・・・今更かもしれないけど・・・ごめんね。ここに来た時、突き放すような事して・・・」

頭を下げるマナ。

「本当に、ごめんなさい」

その姿、動きがあまりにも綺麗で、俺も慌てて立ち居振る舞いを正す。

「いや、そんな・・・!」

咄嗟で他人行儀な返事をしてしまう。

「・・・ぷっ、ふふ」

そんな俺の様子を見て、笑うマナ。

「・・・お、お前なぁ・・・!」

怒っては見せるが、それも格好だけだ。
こんなやり取りができる事が、俺は嬉しかった。

「あはは!ごめん、ごめんね。そうなの、分かってたのよ。私は。ユーリがそういう人だって」
「え?」
「・・・だからね。心のどこかで、いつか助けに来てくれるって。多分、思ってた。柄じゃないけど、物語のお姫様みたいに。そしたら、本当に来てくれて・・・。私、本当は嬉しかった。ユーリが来てくれて。でも、この森に入ることの意味とか、危険の事を棚に上げてて・・・。だから私、腹が立ったの。こんな所まで来ちゃうユーリに。そして何より、喜んでしまってる自分自身に。色んな感情が私の中に渦巻いていて・・・ごめんなさい」

きっと、今日ここに至るまで色んなことを考えたのであろう事が、ありありと伝わってくる。
ずっと考え続けてくれていたのだろう。
自分自身の感情に、向き合い続けていたのだろう。

「マナ、ありがとう」

そう思ったら、自然とそんな言葉が出た。

「ってか・・・この森に来たのも、マナを助けるって決めたのも、全部俺が勝手にやった事だしな。でも、来てみたらみたで、随分立派なところに住んでるし、住居システムは最先端だし、飯はうまいし・・・助けに来たってよりも、逆に俺が助けて貰いに来たみたいな?ははは」

少し照れくさくて、そんな軽口を叩いてしまう。

「・・・でも、まぁ、元気でいてくれて、良かった」

俺は、そう締めくくる。
本当に、それに尽きるのだ。

「・・・うん。ユーリも。また会えて、良かった」

目尻に少しだけ涙を溜めながら、マナは言った。



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