1・アルシオン皇国


皇王を頂点に据え、大陸全土を統べる超大国、アルシオン皇国。
大陸にはいくつもの国があるが、その全てが皇国の領国となっている。
その領国の当主に皇国の貴族を据え、その地位を盤石のものとしている。
大陸平定以前の戦争の名残から、ちょっとした小競り合いのようなものが未だにあるにはあるのだが、概ね平和と言ってもいいだろう。
首都の城下街は、その周りを堅牢な壁と堀で護られている。
これも先の戦争の名残で、主に敵兵や魔物の侵入を防ぐ為に建設されたのだが、今や敵兵は無く、魔物すら年々姿を見なくなっていた。
そもそもの魔物の特性として、人が沢山いるような所には近付かない傾向が強い。
稀に近くに現れたとて、衰弱していることが殆どだ。
つまり。
この堅牢な壁と堀は、平和となった今現在において無用の長物と化しているというわけだ。
市民感情としては「日当たりが悪い」とか「邪魔」とか「景観が」とか各々思い思いな事を言っているのだが、かといって撤去しようにも、皇国の歴史学者達が「偉大なる歴史の遺物だ」と豪語して憚り、お偉いさん達も「なら一部だけ残して・・・」とか「しかし撤去費用の捻出が・・・」と、政治に頭を悩ませている。
そういった日々解決していかなければならない問題は多々あるし、減ることは無いのだろうが、皇王の治世は全体的に見れば好意的に受け止められている。
城下街はレンガで綺麗に舗装され、まるでチェスのマス目の様に整然とした街造りがなされていて、メインストリートは人々の活気で溢れ、商人達の声が辺りに響き、馬車が往来する。
街の中央には大きな時計塔があり、城下に暮らす人々の心のランドマークとなっていた。

「平和だねぇ・・・」

城内の騎士団執務室から城下を眺め、思わずそう呟く。

「・・・この平和も、先人達の血の滲む様な努力あってこそという事を忘れてはならんぞ。ユリウス」
「親父」

背中から声を掛けられ振り向く。
俺の親父、ギリアン・イングラム。
イングラム侯爵家の現当主であり、皇国騎士団統合幕僚長でもある。
元々は末端の男爵家の生まれで、先の戦争の戦果により若くして侯爵にまで叙爵されたやり手な人物であるのだが、それ故に周りの血統主義な貴族たちには成り上がり侯爵として軽んじられる傾向にある。
以前、それを腹が立たないのかと聞いた時には「ハッハッハッハ!腹なんぞ立たんよ。彼らは事実を言っているだけだ。爵位が有っても無くても私という人間が変わるわけではない。ただの勲章と同じようなものだ。そんな些細な事を気にするよりも、やらねばならん事は沢山あるからな」と、そう言って積まれた書類をパシンと叩きながら笑い飛ばしていた。
剛毅で豪胆。
人情深く、人望も厚い。
騎士団にありがちな脳筋ではなく、ちゃんと頭も切れる。
まさに完璧超人ともいえる人だ。

「それは分かってるんだけどさ。こうも毎日平和だと、いまいち実感が薄い、というか・・・」

そう言うと、親父は頭を抱えて溜息をひとつ吐く。

「お前が一市民であればそれでも何も言わんがな。仮にも師団長なのだぞ。ある程度は緊張感を持て。でなければ有事の際に的確に動けんぞ」
「りょーかーい」

俺の気の抜けた返事に、親父はまた溜息を吐く。
皇国騎士団第三師団長。
それが、俺の肩書だ。
これは何も俺が皇国騎士団統合幕僚長の息子だから、というわけではない。
そもそも騎士団への入団は肩書や出自を問わないのだ。
入団希望者に求められるのは、腕っぷしの強さと強固な精神力、そして皇国への忠誠心。
貴族であっても、一般市民であっても等しく同じ厳しい入団試験を経て、合格した者だけがようやく騎士団への入団が叶うというわけだ。
入団してからも定期的に模擬戦が行われ、そこでの成績如何によっては除隊されることもあり得る、厳しい世界だ。
しかしそれは逆に言えば、突出した能力のある者はすぐにでも要職に就く可能性もあるという事だ。
俺の肩書は、そういう世界で、自分の力で勝ち取ったものだ。
父に憧れ、稽古をつけて貰い、気が付けば師団長にまでなっていた。
それでも当然「七光り」や「幕僚長の息子だから」というやっかみが無くなるわけではなかった。
それは、俺も否定はしない。
強くなれるだけの環境があった、というのは、幕僚長の息子に生まれたからというのも少なからずあると思うからだ。
しかしそういう連中も、定期戦での戦いを見ると皆口を塞ぎ、むしろ一転して「流石幕僚長の息子だ」に切り替わる。
敵意から羨望に変わる。
だが、俺にとってみればそれは全く同じことだった。
誰も彼も、俺を見てはいない。
ギリアン・イングラムという偉大な騎士を見ているだけだ。
いつか、この偉大な父を越えられる日が来るのだろうか。

「・・・親父」
「なんだ?」

親父はすでに自身のデスクで執務に取り掛かり、今日も変わらず書類の山と戦っている。
平和になったこの国に於いて、騎士団とは言うもののその仕事内容は戦闘というものから、街の治安維持、周辺のパトロール業務などの警備業務が主な仕事として切り替わっていた。
もちろん戦闘訓練や鍛錬もやってはいるが、今はどちらかと言えば災害救助訓練の色合いが濃い。
騎士団は、何かあった時の為の、もしもに備える為の集団となっていた。
そんな仕事の切り替わりに連動するように、親父の戦う相手は外敵から書類へと変化していったのだ。

「親父は・・・その、なんていうか・・・もっと身体を動かしたいとか、そういう風に思ったりはしないのか?」
「うん?私も偶には定期戦に参加しているではないか」
「いや、そうじゃなくて」
「はっはっは!」

親父は俺の真意に気付いていて、わざと違う答えを出したのだろう。
揶揄う様に笑い、一息入れて言った。

「・・・戦わずに済むのなら、それが一番良いさ」

本物の戦場を知っている親父の、説得力のある言葉だった。

「・・・」
「だからこうして、危険に対して備えるんだよ。・・・戦争は終わったとはいえ、争いの火種というのはそこかしこにある。何が切っ掛けになるかわからない。いつ、誰が凶行に走るとも限らない。数自体は少なくなってきているが、魔物だっている。災害だって起こる。我々の仕事は、人々が安心して暮らせる環境を作ることだ。例え万が一が有っても騎士団がいてくれる。・・・そう思って貰える、そういう存在で在らねばな」

どうしたら、この人の様な存在になれるのだろうか。
自分の父親ながら、この人を超えるなんて烏滸がましいと思うほどだ。

「それより、調べ物の方はどうだ。何か見つかったか?」
「え・・・ああ、それが・・・」

騎士団に入ったのは、もちろん親父に憧れているというのもある。
だが、それだけではない。
その調べ物こそ、俺が騎士団に入った最大の理由とも言っていい。
毎年の様に皇国で起こっている、失踪事件を調べる事が俺の目的だ。
一市民のままでは目を通すことができない資料が、騎士団に入れば閲覧可能となる。
そうまでして調べたい理由が俺にはあった。
マナ・アルシュタイン。
俺の幼馴染。
彼女もまた、失踪者の中の一人だ。
俺が失踪事件に拘り調べているは、彼女を見つける為だ。
尤も・・・残念なことに、失踪自体はこれだけ人口の多い街となると、実はそう珍しい事でもない。
身寄りのないお年寄りが、気付いたら姿を見なくなった、とか、旅行から帰ってこないだとか、そういった失踪は数えきれないほどだ。
もちろん、発覚次第騎士団が調査に出たりはするが、今の騎士団がやれることと言えば人海戦術での聞き込みと捜索くらいだ。
それで見つかればよし。
見つからなければ行方不明扱い。
元々体力自慢達が集まる様な所だからか、一つ一つの失踪を関連付けたり、真相究明という方向にはどうしても行かないのが現状の騎士団だ。
その辺りは、今親父が騎士団内に新設部署を作ろうと動いてはいるのだが・・・。
とにかく、俺はマナの失踪に関して何か違和感を感じているのだ。
そして、今日の今日まで調べ続けてきた。

「・・・皇国を、疑いたくはないけど・・・失踪には一見何も関係なさそうな化学部門の影が見え始めた」
「何・・・?」

皇国内には、政治運営に於いて必要な様々な部門が存在する。
俺や親父が所属する騎士団は、今は治安維持部門の一部となっている。
他には総務部門、法務部門、財務部門、交通部門などなど。
そして、化学部門はあらゆる研究を通して市民生活の向上を目指す部門だ。
他の部門と比べ、化学部門の立ち位置は特殊な状態になっている。
本来ならば各部門横の繋がりがあり、それぞれ連携しつつ皇国の運営を行っているのだが、化学部門にはそれがない。
完全なる独立部門として扱われていて、化学部門で取り扱われる資料は門外不出とされ、例え各部門の長を務めるものであっても簡単に目を通すことすらできない。
その業務内容の専門性の高さ故なのか、騎士団とは違い明確に所属者を厳選しており、皇国元老院が決めたごく一部の人間のみが化学部門で働くことを許される。

「・・・うーむ」

親父は背もたれに深く沈み込み、顎に手をやり、短く切り揃えられた顎鬚をジョリジョリと指で撫でる。
親父の考え込むときの癖だ。

「このタイミング・・・偶然か・・・いやあり得ない。そもそも・・・」

ブツブツと何かを言いながら考え込む。

「親父?」
「・・・ユリウス。実は、お前に異動命令が出ている」
「は?俺に?間違いじゃないのか?」

部門間の異動は何も珍しい事ではない。
人事については総務部門が担っており、時機によってそれぞれ別部署に異動するのはあり得る話だ。
だが、治安維持部門と化学部門の二部門については話は別だ。
治安維持部門は横の繋がりこそあるが、その人事については幕僚長に一任されている。
それは騎士団への入団自体、そもそも他部門と比べ選出方法に違いがあり過ぎるからだ。
別部署への出向はあれど、異動はほぼ無いのが治安維持部門だ。
そういう意味では、化学部門と同じような立ち位置かもしれない。

「・・・どこに」

話の流れから、なんとなくは想像できてはいた。

「化学部門だ」

やはり、と思った。
人事異動のない部門同士の、異例中の異例な人事。
最早、異常と言ってもいい。

「・・・なんで」
「私にも、わからん。何かの手違いかと思っていたが・・・。そうでもないようだ」
「どういうことだ?」
「・・・仮に・・・失踪事件に限らずだが。仮に化学部門が何かに関わっていて、彼らがその痕跡を残すなど、あり得ない。一つとして情報を残さない。化学部門とはそういう所だ。そしてこのタイミングでの辞令。何もない方がおかしい」

ぞくっと、背中に冷たいものが走る。

「何が起きている・・・化学部門は・・・元老院は何をしようとしている?何をさせようとしている?」

俺はもしかして、とんでもない事に巻き込まれているのではないだろうか。
何か重苦しい空気が二人を包む。
・・・だが、裏を返せば、これはチャンスかもしれない。
親父の言う通りそこまで徹底している化学部門が動くという事は、そこに何かあるという事の何よりもの証拠だろう。
そうでなければ、こんな無茶苦茶な人事が罷り通る理由がない。

「・・・まさか、向こうから来てくれるなんてな」
「何?」
「親父、俺は化学部門に行く。例え何かの罠だったとしても、それで真相がわかるなら・・・マナを助けられるなら。俺は行く」
「・・・マナ?・・・そうか、お前はその為に・・・」

初めて、親父に打ち明ける。
俺が失踪事件にこだわる理由を。

「約束したんだ。あいつに何かあった時は、俺が助けるって・・・」

何てことない、子供のころの約束だ。
その為に、俺は強くなったのだから・・・。


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